起業・フリーランス

田舎・地方都市で個人事業主・フリーランスとして働くということ。

独立してから東京や他の地域との距離感が変わりました。という話。

エリア担当制の2面性

細かいフォローと狭めの視野

最初に勤めた企業はエリア担当制でした。基本的には1人1〜3自治体程度の担当エリアが割り振られて、その中では官民問わず一人で売上を立てていく形です。地域密着型の企業でしたのでエリア内のクライアントは細かく手当ができる反面、その範疇を超えての動きはほぼ無いので、どうしても視野を広げにくい面もあったと感じます(もちろん「人による」ということもありますよ)。

これが大都市圏であれば、様々な職種や働き方の場面を目にする機会も多くなるのでしょうが、地方で働く場合、ちゃんと意識しないと「生活とコネクションが勤めている会社の中で完結してしまう」可能性があります。平日は朝起きて出社して、夜遅くに疲れて帰って寝て、の繰り返し。その分、土日は疲れを取ろうと外に出ず、ネットしながらグダグダ過ごす。などなど。結婚したり家族がいればまた少し違ってきますけれど。

といってもこれは「振り返ってみるとそう感じる」ということで、当時は他を知らないのでそんなことを感じる余地もなかったです。また補足としては、このことが完全にマイナスと言っているわけでもなく、地域密着型だからこその学びも楽しさもありますし、基本的にこれまで勤めてきた企業には感謝こそあれ不満はありません。

勤め人 vs フリーランスといった対立構造で語られることもあるのですが、これは個々人の働き方の問題であって、どちらにもメリット・デメリットがあります。このあたりはまた別の記事で。

働き方の時代性

地域企業でエリア担当制の場合、当然ながらそのエリアでのノルマ達成が求められますから、自分が持っている時間のほぼ全てを優先的にそこに費やすこととなりがちです。さらに、割り振られたエリアの特性や可能性とノルマのバランスが正しいのかどうかは別の話です。これは企業戦略の問題ですから、たまに無謀な目標を課せられる等して疲弊する社員が出てしまう場合もあります。

私が最初の企業に勤め始めたのが15年近く前の話ですから、今の働き方改革真っ只中の時代とは少し異なりますが、いわゆる「根性論」的な雰囲気は当然のようにありました。しかも自分自身、それがあまり嫌ではないというか、若い頃は当然だよねという雰囲気に浸っていたようにも思います。良い面で言い換えれば「人情論」的な側面もあるでしょうか。

これは経営者側に立つ場合にはちょっと注意すべきことで、自分の経験としてマイナスではないことを、それが10年以上前の経験だとしても肯定して今の時代に無意識に当てはめてしまう危険があります。

そして大都市圏での先進的な取り組みはタイムラグがあって地方におりてきますので、「働き方」という面でもこれらの少し前の時代の雰囲気が良くも悪くも残っています。そして俯瞰してみると、地域で長く雇用を守ってきた中小企業ほどこの傾向が強めかもしれません。

結果として、かなり意識して「自分」というものを持たなければ「視野を広げていく」ということには繋がりにくい側面があります。

フレックスな働き方の2面性

自由さとノルマ至上

次に勤めたのは全国にグループを展開している企業の地域会社でした。働き方はコアタイム有りのフレックスタイム制です。

フレックスタイム制の場合、例えばコアタイムとして10:00〜15:00は必ず出勤し、その前後の時間は自由ですがトータル8時間稼働/日となるように個々人で決めるような働き方となります。

担当はエリア担当制ではなくクライアント毎に振り分けがある形。エリア担当制よりは働き方を含めて自由度が高いようにも見えますが、ノルマを達成することが第一というイメージです。ちゃんと稼げば残業無しで早々と帰っても文句は言われない。仕事を時間内にきっちりと完了させられる人が評価される。わかりやすいですよね。

時間と意志をはかる

社内会議や打ち合わせも素晴らしく、例えば「15分後に30分だけ共有の時間欲しいんだけど大丈夫?」というような聞かれ方をして最初は驚きました。営業全体会議は週1回ありますが毎日の朝礼は無し(そもそもフレックスですし)。全体会議も1時間と決められ、司会進行は持ち回り。予定時間を過ぎると「進行下手」と評価されるのでファシリテートの能力も試されます。一方でアイディア出しの会議などは数時間にわたる長いものもありますが。

担当する範囲もエリア制ではないので、ある程度自由がききます。自分の思いを上司に伝えて通ればOKというような。入社後にまず聞かれたのが「で、何がしたい?」という問い。当時の私は「震災復興の力になりたい」と答え、これがきっかけで今につながる経験と実績のスタートを切ることができました。

地方と大都市圏の2原論ではなかった

フィールドは地域から全国に広がり、出張も増え、それに伴って「井の中の蛙」だった自分の視野が広がっていく感覚が新鮮でした。岩手から東京は新幹線で約2時間半。それまでは修学旅行以外にはほとんど行ったことが無いような「遠い世界」だった場所が、意外と近くて戦える世界なんだなと気付きます。

やっていることはそれほど大きく変わらないものです。ただマーケットの大きさとスピードが違う。結果的に物量とクオリティに差が出てくる。「シーン」が豊富なんですね。反対に言えば地方で働くにはその逆の課題があるということです。その分ひとつひとつの仕事にトータルで関われる場面が多いという魅力もありますけれど。

いずれ別世界のように感じていた地方と大都市圏の2原論ではないということに気付いた時点で、もっと自由な働き方で故郷の未来に貢献していきたいという思いが強くなり、独立のひとつの動機にもなっていきます(他にも動機はいろいろとありますが)。

フリーランスという働き方へ

自由は楽とは違うけれど

独立してからの働き方は大きく変わりました。エリアも時間もノルマ・目標も自分次第ですから自由です。ただし楽というのとは違います。全ての過程・結果の責任は自分が負うことになりますし、それまでは「〇〇会社の〇〇さん」という会社の肩書・後ろ盾があったからこその立ち位置だったものが無くなります。

起業を考えている方はその「後ろ盾無くなるよ」という部分をしっかりと認めてから独立されることをおすすめします。大きな企業だからこそできる部分、経験を積める部分、信用が得られる部分が確かにあります。その中での評価が、独立してからもそのままついてくるということはありません。肩書無しの「〇〇さん」だけで勝負するということは、100%の自分で評価されるということです。他のスタッフの成果を同じ会社だからといって、さも自分も並列のような実績として語ることもできません。そう簡単なことではありません。

ちなみに「1日3時間だけ働く」「1ヶ月のうち半分は休み」「来年は育休で1年休もう」なんてこともやり方によっては可能ですが、その反面忙しいと「2テツ(2日徹夜)、3テツ」「90レンキン(90日休み無しで連続勤務)」になる可能性もあります。

世界は狭く、近くなる

前項の前提があるものの、自由は確かにあります。特に機会へのアプローチの質と量が格段にアップします。特に地方を拠点とする場合です。世界が狭くなります。距離感がゼロに近くなります。全てを自分で決めるからです。

与えられたエリアでもクライアントリストでもない。自分がライフワークとして、限られた時間を何に費やすのか。その決定権が自分にあるということが、「働く」ということの壁を取っ払うのです。良くも、悪くも。

今でも私は何かお声がけがあれば距離にかかわらずできるだけ走ることにしています。「次の木曜に東京に来れる?」みたいなことです。もちろん会社勤めと異なり出張費なんて出ないですが、それは自己投資。利益的なことを考えずに機会優先で飛び込める自由は大きい。

出張届けを出して、説明して、ハンコをもらえたらOK。というタイムラグが無くなりますからね。個人事業やフリーランスの強みはこのスピードとフットワークの軽さでもあります。

所属や肩書は世界との距離かもしれない

仕事帰りにちょっと映画を観に行ったり、美術館をまわったり、テレビで朝紹介されていたカフェに行ってみたり。そんなことが地方ではなかなか実現しません。私が住んでいる盛岡市は「映画館通り」という通りがあるくらい元々映画館が多い地域ですが、基本的には地方には選択肢が少ないものです。

さらに自分の生活の一定以上の時間を「働く」ということに取られていると、自分を構成する要素の多くは「会社での所属や肩書」に大きな影響を受けてしまいがちではないでしょうか。もちろん、目指す生き方と働き方がニアイコールであればそれで全く問題ないとは思いますし、ここではあくまで「地方で働くということ」の課題としての側面です。

将来的に会社を作るなら、スタッフに対してはこの課題が解決できるような環境を整えていきたいですし、世界のどこにいても距離感ゼロの働き方のシステムを模索していきたいと感じます。

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