今日は私の祖母=娘の曽祖母の86歳の誕生日。
軽く仕事の書類提出に行くタイミングで親子3人で出かけて、そのまま誕生日プレゼントの買い物&お届けすることに。
もらう立場だと金額ではないよなとわかっているけれど、あげる立場だとそうもいかないもので。
うちの夫婦は家族親戚がかなり近いエリアに住んでいることもあって、誕生日だとか記念日だとか何かしらのお祝い事でプレゼント持って訪問することが多いです。
イベントがなくても顔出しに行く時には手土産持参するので、結局しょっちゅうあげたりもらったりのやり取りがあるわけで。
そうすると段々とプレゼントも定番ものになりがちなんですよね。
お酒飲む相手には少し良い日本酒だとか焼酎だとかワインだとか。
あとは事前に身内同士でプレゼント確認しておいて、他でお酒をあげると聞けばこちらは肉とか魚とか。
まぁ理由付けて顔を出すこと自体が親戚同士は大事だと思っているので、プレゼント自体はなんでも良いものなんです。
たとえば先日の「父の日」に生後4ヶ月の娘から初めての手紙をもらって家宝にすると決めた私。
親や祖父母からすれば私が今の娘のように小さい頃から見てくれているわけですから、同じように考えればプレゼントってお金かけなくても十分嬉しいのだろうなというのは想像しやすいですよね。
というかある程度歳を重ねていくと、極端な贅沢品でなければある程度のものは買えるようになってきますから、既製品よりも寧ろ手作りだったり手書きの方が嬉しいものです。
もちろん、子どものお小遣いだったり、働いて稼いだお金だったりでプレゼントを選んでくれるのも嬉しいですけれど、それって「モノをもらうのが嬉しい」ということではなくて「自分のためにプレゼントを一生懸命考えてくれたことが嬉しい」ということであって。
そう考えると36歳になった孫からもらうプレゼントにしても同じようにお酒とか消えものよりも何かしらの世界で一つの手作り・手書きのものの方が喜んでくれるのかもしれません。
しかしどうしてもそういうのって小っ恥ずかしかったり。
結果として、モノとしてのプレゼントはお酒とかお肉とかにしつつ、ひ孫を見せに行って一緒に時間を過ごしながら、その時の写真を撮って後でそれも送る(贈る)ようなのが一番なのかなぁと。
こうやって今記事を書きながら「あ、我が子に(私の時と同じように)手紙書かせればよかった!」とか思ったりするのですけれど、それは誕生日とかじゃない機会でも良いかな。
いずれ家族親戚にはしょっちゅう会いに行くことが何よりの孝行であることは確かですね。
我が子にとって「曽祖父母」がいるということの不思議。
我が子が産まれて以降、少し不思議な感覚になるのが、私にとっての祖父母が娘にとっては「曽祖父母」になるということ。
当たり前のことではあるのですけれど、私自身は産まれた時に既に(私にとっての)曽祖父母は他界していたので会ったことがないんですよ。
親戚一同が集まる盆や正月などではよく(私にとっての)曽祖父母についての話は聞いて育ったものの、実感ってわかないものなんですよね。
遠い存在というか、言ってみれば「ご先祖様」的なイメージなので。
つまり「曽祖父母」という存在・役割自体が全く身近なものではない環境で(娘が産まれた時点の)35歳になったわけです。
このため「私にとっての祖父母」という存在や関係性自体は変わらないものの、その祖父母が「自分の子どもにとって曽祖父母になる」ということがとても不思議な感覚なんです。
「曽祖父母(=ひいじいちゃん、ひいばあちゃん)が親戚にいるということが現実にあり得るんだ」という驚きと言っても良いかもしれません。
仮に自分が30歳で子どもを産んで、その子どもが30歳で(自分にとっての)孫を産んで、その孫が30歳で(自分にとっての)ひ孫を産むとすれば、自分は90歳ですからね。
我が子にとっての曽祖母は今年86歳ですが我が子が初ひ孫ではないので、もう少し若い年齢の時に「曽祖母・ひいばあちゃん」という役割になったわけです。
自分基準で子どもと孫がそれぞれ25歳で出産したとしても、ひ孫ができるのが75歳。
私の場合は35歳で第1子ですから少し遅めですけれど、同じペースでそれぞれ産まれればひ孫ができるのは105歳(!)。いや厳しいですよね(笑
我が子と孫がそれぞれ25歳で第1子を産んだとしても85歳で初めて曽祖父という役割になると。
これから更に平均寿命が延びていけば85歳でもまだ若いと言われる時代になるのかもしれません。
それでも晩婚化だったり第1子が産まれる年齢が上がっている傾向を考えると、やはり家族親戚の中に「曽祖父母」という存在がいるというのは貴重であるということは変わらないままなのかもしれないなと感じます。
それにしても私にとっての祖父母が「曽祖父母」という役割になったことについては中々慣れないんだよなぁ。
同じように自分たちの親が「祖父母」という役割になったことも不思議な感じではありますけれど。
まとめ
ということで、今日は私の祖母=娘の曽祖母の誕生日で顔を出しつつ皆で良い時間を過ごせました。
ちなみに私は小さい頃から両親が共働きで、よく私の祖父母宅に預けられていたので、根っからの「おじいちゃん・おばあちゃんっ子」なんですよ(あと叔父の影響もかなり受けていて)。
ひ孫の顔を見せられていることは純粋によかったなぁとしみじみ感じているところですが、自分が可愛がってもらったように我が子も可愛がってくれていることはとても嬉しいというかありがたいことです。
今の個人事業主・フリーランスという働き方にも助けられて、比較的自由に平日・休日問わずにプライベートでも会いに行くために動きやすいということもあります。
何より我が子にとって「曽祖父母と一緒の時間を過ごす」という貴重な経験(私は経験できなかったことです)をもっとさせてあげたいなと考えています。それが孝行にもなりますからね。ではまた。