雑談

Scale and Snail

小学校5年か6年の頃からだったろうか、熱帯魚を飼うことに没頭していた時期がある。

グッピーやネオンテトラといった定番のものからキッシンググラミーのような少し珍しいものまで。卵胎生の種なんかはそれ用の箱を用意しなくても、隠れ家になる水草やモスを植えておけば自然と淘汰されながら増えていく。

わかりやすいのはやっぱりグッピーで、ヒレの形から体の模様まで、遺伝やら生命やらあの歳なりに哲学めいたものを巡らせながら水槽の中の世界を見ていたものである。

時にオスがメスの周りで踊るように泳ぎ始める。穴が空くほど見た熱帯魚のカタログにはそんな行動のことなど載っていない。それでもあぁ気を惹いているのだなとは本能的にわかる。グッピーのダンスは個体によっても少し違うが、共通と思われるようなリズムがあるようだ。美しいヒレを波打つように震わせるその様は、たとえ人間が交配した種だとしても結局その美しさの意味の真髄を感じられるのは同じ種だけなのだろうと思い起こさせるには十分だった。

中学・高校・大学と定期的な「熱帯魚ブーム」は自分の中に打ち寄せて、その度その度にコリドラスに凝ってみたり、水草に凝ってみたり、結局グッピーに戻ってきたりと繰り返していたのだが、ある時ふとガラスにくっついている透明な物体に気付く。

ルーペでその2つ横並びに重なった「何か」を覗いてみると、その中には小さな球体が1個ずつ入っている。

日をおいてもう一度見てみると、その小さな球体はねじれて螺旋状の「何か」に変化していた。

時が立つにつれてその螺旋は小さなクラゲのように見えるものに変化していき、どうやら貝のような生き物だとわかってくる。

そしてある時、写真のようなキャラクターがハッキリと姿を現した。巻き貝だ。

この写真を撮ったときの印象が強すぎて、その後どんな姿に育っていったのか全く覚えていないのだが、どうやら私は気付いたのだ。「世界を見るスケールをもう一度変えなければならない」ことに。

「もう一度」というのは、やはり小学生の頃、初めて望遠鏡を手にして土星や木星を見たとき以来だからだ。熱帯魚に没頭する一方で、私は毎夜友人たちと近くの運動公園で夜空に隠された秘密を覗いていた。あの遠くに光る星たちの中に、少しだけ近づける惑星がある。しかも瞬く星たちは望遠鏡を通すとハッキリと「1秒1秒動いている」ことがわかった。自分が立つこの星が、確かに回っている瞬間だった。

思い返せば顕微鏡に熱中していたこともあった。それもまた違う世界だったが、ルーペを通して目にしてしまった水槽の中の「進化」は確かに生きていて、だからこそショックだったのだと思う。

見ていないものがある。気づいていない世界がある。この価値観と感覚は今でも変わらなくて、少し説明はしにくいのだけれど、同じような感覚を想起させるようなアイディアを生むことが一つの基準だと自分に言い聞かせている。

出会ったときにあの感覚が呼び起こされれば、それは多分、正解だ。

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