働き方

出張初日は大阪までの移動&明日の仕事用の追加仕込み作業。

今日は東京経由で大阪へ移動。明日の仕事イベント本番が朝イチからなので前泊必須なんですよね。委託を受けている企画ものに加えて個人的な思いもあり、今日中に追加で準備したいものがいくつかでてきたので、敢えて各駅停車のやまびこのグリーンで東京までは仕事作業しながら移動しました。東京から大阪は本数が多くてそこまで混んでいないので普通の指定席でOK。

ちなみに東北から東京経由で大阪に行く場合、東北→東京、東京→大阪とそれぞれ指定席券・乗車券を取ると結構な割高になります。乗車券は東北→大阪まで1本で取ってしまえば、その差額でグリーン車に乗ってもそれほど変わらないようなイメージだったり。敢えて東京で1泊入れて出張ついでに視察したりすることもあるのですけれど、中途半端に寄る場合には料金比較しておくと良いですね。

ということで今日は無事大阪にも着きまして、とは言いつつそれほど時間に余裕がないものですから大阪駅近くでたこ焼き持ち帰りで買ってホテルで食べながら仕事作業。それも一段落したのでこの記事を書いているわけですけれど、明日は朝4時半から稼働予定なので早めに風呂入って軽く寝た方が良いかもしれない。

こういう時って中途半端に寝てしまうと体調崩すこともあるので、寝るなら思い切って寝るか、どうせならほぼ寝ずに仕事し続けてその流れで終わりまで持っていくかのどちらかになりますよね。結局半端に寝ることもありますけれど。

ガッツリ作業しているとテンション上がって眠くなくなってしまうので、出張から帰る新幹線だとか帰ってから丸1〜2日とか完全に休める時には少し無理してでも追い込んだ方が良い場合も。

仕事柄というか職業病というか、企画系やイベント系の運営・設営側でやっていた経験があると、本当に直前の直前までギリギリ調整していることって少なくないんですよ。その最後の本当に微妙なこだわりだったり、ある意味余計なというかサービスになる部分が結果的に吉と出るか凶と出るか(実際凶になってしまうこともなくはないのがこの業界だったりしますが)。

それは結果を見ないとわからないんですけれど、それでもギリギリまでベストを尽くした上で本番迎えたいなというのが気持ち的にあるんですよね。今現在の職域とは少し異なるのであくまで数年前の働き方として思い出すとということですけれど。今思えば労基も何も関係ないような働き方をチームでしていたこともあったなと。時代ですかね。それとも業界の常か。

今でもその癖が抜けないのがある意味では悪いところで、本来なら1週間前に既に完璧にしておくのがベストだと言われそうでもあるのですが、仮にその段階で完璧になっていたとしても、そこからの1週間さらに追い込むだけなんですよ。おそらくこの感覚がわかる人って少なからずいるのではと思うのですが。

当然効率が良いとは言えないやり方でもある一方で、何か一つのことにギリギリまで取り組んだり考え続けることってそれが終わって一段落してみるとちゃんと自分の経験値になっているもので。次に同じようなことがあれば立ち振舞が楽になっているのが自分でもチームでもわかります。仕事とか企業の成長ってこの繰り返しなんですよね。結局の所。

そう考えると、短距離でも構わないのでいかに自分のアクセルをベタ踏みする経験を重ねるのかって大切だなと。長距離ならば疲弊してしまいますから、ゆっくりと踏み続けながらたまに何かを追い越すために短距離だけベタ踏みする感覚ですかね。

今の時代は働き方改革で労基無視みたいな変なことがかなり減って改善されているのが良いところですけれど、その一方できっちり定時の中でしっかりこういうベタ踏みするような経験をさせられるかどうかがマネジメント側にも求められているなと感じます。

昔と言っても5年前とか10年前とかそんなレベルの近さですから、現在の中堅あたりは働き方とかパフォーマンスの高め方が「ちゃんと世のルールの中で最大化する」ということではない場合が少なくないように思うんですよ。私もそうですけれど。

ちょっと無理する方がパフォーマンス出しやすかったり、または自分ではそう考えてしまっていたりすると、今の若い世代に対しては別な方法論であたらなければならないということを忘れてしまいがちなのかなと。そういう意味で試されているのはこちらであると。

働き方の切り替わりの時期には、若い世代よりも寧ろ上のマネジメント世代の方が勉強・研究して新しい方法論を確立しなければならないんですよね。長らく当たり前だったフォーマットをベテランになってから見直して変えていくというのは簡単なことでは無いとは思いますが。

そういう視点で考えると、もしかしたら世代でヨコにザクッと分けてしまっても良いのかもとふと思ったりもします。世代間の価値観の差が壁となるのであれば、そもそもそれぞれがやりやすいやり方でやってみればよいではないかと。新しい世代は新しい価値観で社会を作ればよいし、上の世代はそれまでの自分たちの生き方を否定する・されるのは辛いでしょうから、それを受容した上で住み分けるようなことはどうなんですかね。

時代に合わせた変化は勿論大事なんですけれど、だからといって変わる前の時代の生き方を完全否定するようなことは違うのかなぁと感じるということで。時代時代にフォーマットとなるものがあって、その中で各自が一生懸命に生きてきたということですから。世代や考え方の変化というのは地層みたいな感じなのかもしれません。

さて、つらつらと思うがままに打ち込んできましたが、今日はあとは明日のためにゆっくり休むことにします。ではまた。

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