日常と雑記

志村けんさんの訃報によせて

コメディアンの志村けんさんが亡くなりました。新型コロナウイルスで入院したというニュースに驚いたばかりでしたが、訃報のニュースがこんなにも早いとは想像もしておりませんでした。というか無事に復帰されるものだと漠然と考えていたので非常にショックを受けています。

普段はあまりこのようなニュースについて記事にすることは無いのですが、自分の気持ちを整理するという意味を含めて少し考えるところがありましたので残しておこうかなと思います。

これまで芸能人の訃報で悲しい気持ちになることはあっても、気持ちが落ち込んだり泣きたくなるようなことはそれほど多くなかったんですよね。芸能人はテレビの中の存在というか、自分自身と直接関わっているわけでもないので「メディアを通して知っている方が亡くなられた」という感覚が強いというか。

それが志村けんさんの訃報を聞いた時に、自分でも驚くくらいショックだったんですよ。

twitterのタイムラインなどを追っかけてみると似たような感覚の方も結構見られたので、志村けんさんは多くの一般人にとっても何かしら特別な存在だったのだなと感じるところです。

その理由を考えてみると、時代を超えて常に最前線でコントを中心とした笑いを提供し続けてきたということが一つあると思います。

今の時代、子どもからお年寄りまで同じ笑いで楽しめるコンテンツってそれほど多くないですよね。そんな中で志村けんさんの笑いというのは大人が子どもだった頃から慣れ親しんだものですから、世代が移り変わっても皆身近に感じるということなのかなと。

しかも昔のドリフや全員集合の動画を見てみると、基本的に「子どもを笑わせる」ということに徹しているんですよね。もちろん大人も笑えるのですが、どちらかというと「子どもが大人の世界を覗き見出来る感じ」であったり「大人に対して子どもがやってみたいタブー」みたいなものを笑いにしていると。

だからこそ「子どもに見せたくない」みたいなことを親世代からは言われてしまうわけですが、子どもにとってはそれも含めて大人への反抗的な面白さも感じたりするものです。

実際に親になった今としては、「あぁ、確かにこれは子どもに見せるのは迷うな」と感じる笑いもあります。価値基準も時代で変わってきていますから余計に。

しかしそれでもコントという形態を基本として「動き」や「フレーズ」で笑わせる志村けんさんの笑いというのは、時代を超える普遍的な要素を持っていると改めて感じます。

肩書が「芸人」とか「芸能人」というよりは「コメディアン」というのも志村けんさんらしいなと思いますよね。令和の時代になってもコント番組はずっと続けてきたということからもその信念が伝わってくるというか。

そんな志村けんさんは多くの人達にとってどこか「親戚の面白いおじさん」に近い存在だったのではないかなと思うんです。

子ども達にとっては「あのおじさん変だよね」と笑いの対象になっているけれど人気があって、しかも実は非常に計算されたポジションだったということが大人になってみるとわかるという。

「自分の存在を笑わせる」ということは笑いそのものを考える際に非常に大切なことで、志村けんさんが生み出した様々なキャラクターは正にそれを体現しているものばかり。

だからこそ志村けんさん自身の存在がそのまま親しみを持つ対象として世代や時代を超えて身近な親戚のように認知され続けてきたのではないでしょうか。

そしてこのことが訃報を聞いた時の自分自身の非常に大きなショックと悲しみにつながっているのだと思うのです。

事故などで急に亡くなってしまう場合とも違って一旦「入院」という段階があったことも、どこか「容態が落ち着いたら退院してまた復帰されるのだろう」という無意識の期待につながっていたのかもしれません。

新型コロナウイルスのニュースの中でも国内で有名人・芸能人が亡くなったということはこれまでありませんでしたから、まさかあの志村けんさんの訃報を最初に聞くことになるとはという思いもあるかもしれません。

いずれ子どもの頃から知っていて、しかもある意味では自分たちの中の「笑い」の基準になっている存在で、更には親よりも味方になってくれる親戚のおじさんのような志村けんさんだったからこそ、これだけ悲しいと感じるのかなと。

同じドリフターズの中ではいかりや長介さんが亡くなられた時にも悲しかったですが、子ども心に近い存在としては志村けんさんの方が信じられないという気持ちになってしまいます。70歳のご高齢とは言えドリフターズの中では最年少でしたし。

とにかく訃報を聞いて初めて「あぁ、志村けんさんって自分の中で大きな存在だったのだな」と改めて感じたわけです。その悲しさと気持ちの落ち込みを自覚することで。

私を含めて一般人の中でも気持ちの整理がつかない人が非常に多いのではと思うのですけれど、入院から亡くなられるまでが急すぎて、更に新型コロナウイルスによるものだと面会なども難しい状況だったでしょうからご遺族の方々こそ非常に辛い状況だと想像できますよね。

暫くこの落ち込みが続きそうな気がしますが、しばらくは昔のコントの動画等を見て過ごそうかなと思います。改めて見て笑うことで思い出が蘇ったり、小さい頃から笑いの感覚として影響を受けていたのだなと再認識することもあるはずですから。

昭和・平成・令和と時代を超えて笑いを創ってきた偉大なコメディアンが旅立ってしまったことが心から残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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