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大阪にて観光における地域言葉と異文化感・異世界感について考える。

大阪2日目。地域言葉について一考。

東北から来ると大阪は完全な異文化でワクワクする。

The 大阪の地域性・言葉に学ぶこと・考えさせられること。

初めて大阪に来た時には「The 大阪」感に驚いたものです。普通に虎の顔が全面にどデカく編み込まれたセーターを着ているおばちゃんがいたり、朝からたこ焼き屋の前でビール飲んでる三輪自転車のおばちゃんがいたり。多分日本の「おばちゃん像の源流」なんだと思います。「オバタリアン」の影響が大きいかもしれませんね。

何より言葉も人もTVも大阪そのものというか、例えば東京に媚びてないんですよね。当たり前かもしれませんが、街中の人たちが普通に大阪の言葉を使って大阪の色でコミュニケーションを取っている異世界感が東北の田舎町から来た自分には新鮮でした。

言葉って地域性を表す大切なファクターです。それは単に「方言」という「共通語からの距離感」を言うものではなくて、その地域地域の歴史文化や性格にも紐付いていくものだと感じます。大阪の場合には特に「大阪弁」「関西弁」「方言」みたいなことは地元の方々も「違う」と感じるのではないかと想像します。東京弁(という言い方?)を話す方が違和感あったりしますよね。大都市圏の一つですから媚びる必要もないですし、言葉は誇りの一つでもあるはずです。

細かく見ていけば関西エリアの言葉も府県によって違うでしょうし、例えば日本海側の北陸・富山あたりまでは東北出身の自分からすれば大まかにはイントネーションが近いように感じたりしますが、自分たちの言葉が明確であればあるほど、少しの差も明確な違いとして認識されているのでしょうね。

東北6県でも地域言葉の残り具合には結構な差がある。

ちなみに東北6県の場合は一緒にされるか、または北東北(青森、秋田、岩手)と南東北(宮城、福島、山形)に分けられることもあります。南部藩、伊達藩といった括りで語られることもあります。地元言葉の違いや共通性はそれぞれですが、各県の大きな街に行くと地域言葉の残り方に結構な違いがあります。

例えば岩手県の県庁所在地の盛岡市では、比較的方言は少ないように感じます。イントネーションが共通後とは違ったり、多少の訛りはありますけれど、大まかには共通語に近い言葉で日常会話をしています。親戚が集まるととたんに訛りだしたりもしますが、若い世代だとそれほど方言も使わない印象です。

一方で青森県は地域言葉が若い世代でもめちゃくちゃ残っています。例えば弘前市、春に弘前城公園の桜まつりに行ってみると驚くのが、中高生が聞き取れないくらいの青森弁で話しているんです。大阪に初めて来たときと同じくらいの衝撃がありました。もちろん良い意味で。若い世代に地域の言葉が継承されているというのは素晴らしいことだと思います。言葉は文化そのものだからです。

地域言葉が継承されていくことの文化的意味。

東北地方の言葉も市町村単位で見ていくと全体としての共通性があったり、地域を飛び飛びで同じ傾向が見られたりもします。メディアを通して二次的に方言に触れる機会が増えていることもあって、地域コミュニティ内の言葉の継承とは別の意味合いで言葉を知る人も少なくないのだと思います。地域間の人口移動によるかき混ぜも含めて、段々と平均化されていく可能性が高いのかもしれません。だからこそ、現時点で地域言葉が残り続けているのは素敵だなと感じるのです。

このことは、文化としての多様性を保持するための大きな要因が「地域言葉」であるということでもあります。昔話ひとつとっても、その地域で語られてきた言葉で語ることが最も正確な意味・ニュアンスが通じるものだと感じます。文化を残すことに言葉の障壁がある場合もあるかもしれませんし、共通語にすることで広がりを持って継承されていくこともあるかもしれません。

これは映画をオリジナルで観るか字幕で観るかか吹き替えで観るかという論に近いものがありますね。大意は翻訳で通じるわけですが、そこにはどうしてもズレが生じていきます。エンタメとして考えばどの楽しみ方もアリでしょうけれど、オリジナルの言葉が全く消え去るとすると表現の機微は失われてしまうかもしれない。地域言葉も同じなのかなと感じるのです。

まとめ

言葉に紐づく性格というのもありそうです。県民性というものも地域言葉との関連性があるはずです。両親が東北生まれでも、子どもが大阪生まれであればどちらかというと大阪気質に育つはず。家での過ごし方も関わってくるでしょうから、家の中が「The 東北」であれば東北気質に育つかもしれませんが。いずれ言葉は後天的な要素ということですね。そう考えると言葉と性格の関連性は興味深いものです。使う言葉で性格が変わる可能性があるということですから。

TVで大阪の言葉に触れる機会が多いからかもしれませんが、大阪の言葉って言葉自体の独自性(岩手では「とても寒い」を「しばれる」というような)よりも、音の高さとかイントネーションとかリズム感に特徴があるように感じます。声が高めで通るんですよね。そして明るい。怒れば怖い一方で、やわらかく言うと人情味が出てくる。同じ言葉の中で表現できるコミュニケーションの幅というかダイナミクスがとても広い。これは関西全般かもしれませんが。

そして地域の魅力の伝え方を考えるときに大切なんですよ。この「異世界感」をどう演出するかが。演出の必要が無いくらい地域性が尖っていればよいのですが、そうではない場合にはある程度の要素抽出というかデフォルメが必要になることもあります。大阪の強さはその演出が全く必要ないくらい尖っていること。継承され続けていること。観光客のある程度は「大阪という世界を体験する」のが楽しいはず。素晴らしい街です。

異文化に触れることで学ぶことも考えることも多いので、出張中は取り留めもないかもしれませんが感じたことを記事にしてアップしていきます。ではでは。

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