子育て日記

【子育て日記】「バイバイ」のタイミングで悲しそう&泣きそうな顔をするという成長。【生後9ヶ月】

今日はほぼ丸一日外で仕事だったので、自宅に帰宅した時には既に我が子はおやすみの後でした。嫁さんに今日のことを聞いてみると、昼前後の数時間にかけて私の実家の母が来てくれて一緒に過ごしてくれたとのこと(こういう時には私ではなく直接嫁さんに連絡がいくのです)。しかも母が帰るタイミングで我が子が泣き出したらしく、これも成長だなと感じた次第です。

子どもにとっての「バイバイ」と「寂しい」という感情。

家に来た誰かが帰る時の「バイバイ」のタイミングで「悲しい顔」をしたり「泣く」というのは、新生児期以降の「泣く」ということとは別のものですよね。

産まれてすぐの「泣く」は極々本能的な反応のひとつであって、何かしらの感情に紐付いているものではありません。どちらかというと快・不快の感覚との紐付きがあるとは思いますが、それも何かを感じているというよりは自分でもわからない中で泣いてしまっているということだと思います。

それが少しずつ発達段階が進むにつれて、快・不快から自分自身の感情としての「嫌」というものの表現にもなっていって、それと同時期には喜怒哀楽の感情表現も豊かになっていくという変化が見られると。

更に発達段階が進んで喜怒哀楽の他に「寂しい」という感情がはっきりと自覚できるようになってくる中で、「バイバイ」ということに対して「悲しい顔をする」とか「泣く」という表現に繋がっていくのではないでしょうか。

「バイバイ」に対する「泣く」という反応は、「バイバイ」自体が何を表すのかを理解できていなければ見られないはずですよね。

誰かが玄関で「バイバイ」といってドアを締めるとどこかに行ってしまって、一定の期間は会えないという未来予測が立てられるようになったからこそ、そのことが「寂しい」という感覚になるわけで。

しかもその反応の相手が親だけではなくて、家族以外の他人に対しても同じような反応を示すということは、愛着というものを感じる対象が親以外にも広がっているということでもあります。

我が子は相手によっては人見知りをして泣き出すこともありますが、それと同時に相手が自分から離れることに対しても泣き出すことがあるという状況なんですね。これは同じ「泣く」でも正反対の事柄のように見えるわけで、感情と表現の組み合わせやバリエーションが豊かになってきているということでしょう。

「バイバイ」してもケロッとしていた時期から比べると、寂しいという反応をしてくれるのは嬉しいやら少し可哀想やらで親としては複雑な気分だったりもします。

「バイバイ」の後の「またね」の理解が必要だろうなと。

このように「バイバイ」が寂しいという感情が生まれてくると、その次にまた会えるという期待感や安心感についても教える必要が出てきます。

よく子ども用の絵本で「バイバイ」の後に「またね」をセットにしているものがありますけれど、それはまさしく「バイバイ」だけの寂しい終わり方ではなくて「またね」という次への期待感・安心感もセットでストレスを緩和しようという意味合いなわけで。

そういう意味では最初から「またね」という言葉で離れるような習慣にしてもよいかもしれませんが、仮に「バイバイ」という言葉から始めるにしても「またね」の意味合いまで理解して一緒に覚えてもらうような工夫が必要だなぁと感じるところです。

自分が子どもの頃を思い返してみると、幼少期から小学校低学年あたりにかけての記憶で、盆や正月に親戚の家に集まった後に解散して家に帰る車中がとても悲しかったことを覚えています。それぞれの家も比較的近かったりしていつでもすぐに会える距離にもかかわらずです。

または家族旅行をして家に帰る新幹線の中とかでもとても悲しかったような記憶もありますね。これは旅行中には常に一緒だった家族というものが、日常生活に戻ると仕事や学校で1日の多くの時間がバラバラになってしまうということへの寂しさだったのかもしれません。当時は原因がよくわからなくてただただ寂しかったように思いますが。

我が子はまだ生後9ヶ月ですけれどここから数年〜10年単位で同じような感情を抱くようになる可能性があるのだろうなと思うと、その発露がちょうど今のタイミングで目の前に見て取れるということは感慨深いというか色々と考えさせられるものです。

産まれてから1年足らずでどんどん成長して人間らしい感情や行動を獲得していくのを目の当たりにすると(実際にはお腹の中にいるころからエコーで見ていますけれど)、そのダイナミックな進化というものをすぐ近くで見て経験できる「育児」というのは本当に貴重な体験だと改めて感じるばかりです。

まとめ

子どもの感情が複雑になっていくにつれて、親としての子どもとの関わり方も同様に複雑になっていきます。自分自身で動くことができる範囲が増えることで、ある意味では一方的なものが多かったかもしれない親の庇護が双方向のコミュニケーション中心に変化していくわけです。

こういうタイミングで1週間単位の出張が入るのは心苦しかったりもしますけれど(来週から出張なんですよ。。)、そのような体験も含めて更なる感情の発達や心の成長につながっていくことを願うばかりです。ではまた。

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