起業・フリーランス

ふるさとで家族親戚の近くで生きるという「自由」な働き方もあるものだよ。

フリーランスにとっての「自由」の意味ってどんなことだろうかと考える。

個人事業主・フリーランスは果たして何が自由なのか。

自由な働き方ってなんだろうってよく考えます。独立起業して個人事業主・フリーランスという立場で働いていると「いいねぇ」なんて言われることがたまにあるからです。業界としては同じような働き方をしている方も少なくないので決して楽なものではないことも皆わかっているので、このような見方をされるのは基本的に仕事での関係がない方が多いですが。

フリーランスというワードからはその名の通り「自由」というイメージを持たれる方も多いのかなと思いつつ、その一方で世間的には「自由」の逆にも思われる視点にメリットもあるということを今回は書いてみようかなと。

「家族」の近くにいられるという「自由」。

まずは「家族」についてです。社会人として家を出ていたり、結婚して世帯を持っている人にとっては「実家」とか「親戚」とかでも同じです。私は大学の時に家を出て、社会人になってから結婚して夫婦で暮らしているのでそれぞれの「実家」や「祖父母」などについての話になります。

学生や社会人になって実家やふるさとから遠く離れる方も多いですよね。そうすると盆や正月に帰省する形で故郷に帰る以外は中々顔を出さないというのも珍しくないのではないでしょうか。自分の場合は社会人になって地元から少し離れた(距離にして100kmほど)企業に就職して、結婚してからも1年程は単身赴任の状態でした(妻は地元企業に就職)。最初に勤めた企業には5-6年ほどおりましたので、この期間は実家親戚と顔を合わせることはそれほど多くなかったのです。

ところが東日本大震災があって、翌年に転職という形で地元に戻りました。転職の経緯や思いは色々とありますが、その一つに「家族親戚の近くにいたい」という思いがあったことも確かです。これは震災での経験が大きくて、身近な人達に心配かけたくないということやお互いに協力できる距離感にいたいなという感覚がとても強くなったからですね。それからしばらくして独立起業するわけですが、その際にも「個人事業主になれば転勤の心配もない」ということが一つのポイントにもなりました。

家族の近くにいる。親戚の近くにいる。その価値については今一度見直されても良いのかなと感じます。というのも、親の面倒を見たり墓を守ったりというような昔ながらの考え方はフリーな生き方というものの真逆にあるような言われ方もしますよね。でも人生の豊かさみたいなことを考えたときにはそれだけじゃないように思うのです。子育ての協力もしてくれるし、お互いに何かあったときには駆けつけて助け合える。この関係性って友人知人レベルでもある程度はあるかもしれませんがどうしても限界がありますから。いつでも顔を出したり、お土産持って帰りに寄ったりする距離感って大切です。

田舎暮らしのメリット・デメリットもちゃんと整理して理解すれば「なんだかんだでうまくやっている」に行き着く。

次に「ふるさと」。村社会であれば地縁の中で子育てをしたり助け合う場面もまだ残っていたりしますけれどこれも同じ。確かに田舎の居心地の悪さとか監視されているとか言われることもありますが、その根本を理解すればさほど気にせずそんなもんかと暮らせるものです。寧ろ数多くの他人の中で育つことで得られる力もあるはずですし。

ちなみに田舎ほど他人を気にして噂話好きでということは今でも普通にあるものですが、しょうがないんですよ。他人を気にする原因は結構明確だと感じていて、コミュニティの大半が幼稚園から小学校・中学校くらいまでほとんど一緒の環境で育っていたりするわけです。そうするとお互いのイメージが小さい頃の先輩後輩とか上下関係っぽいもので固定されがちなんです。しかも誰しもが「他人より自分が上だと思いたい」というマウンティングの欲求を持ちがちですから、成長するにつれて社会的には異なるバランス関係になっていったとしても抜け出られない人が出てくる。すると「あいつは後輩のくせに偉そうだ」とか、「昔は大したことなかったんだから親の七光りだ」とか、ある意味くだらないことを言う人もいるわけ。

さらに、今でこそ世界中がネットでつながる社会ですからある程度は外の世界が見えているとはいえ、地域の娯楽として例えば映画館もないような田舎は珍しくありません。そうするとテレビやギャンブルの話ばかりになったり、顔を合わせれば共通の話題としての昔の話ばかりになったり、まるで週刊誌かと言わんばかりのご近所の噂話に終始したりということもあり得るんですね。これは話題が限定されるものの突き詰めれば単純な情報交換です。Facebookに近い感覚ですね。疲れるのも同じ。

このような「デメリット」だとか「井の中の蛙」だとか「旧態然とした風習」だとか色々と言われることもある「田舎」というものの一側面はありますが、もう一歩深く感覚を掴むと「これも理解した上で、でも普通はみんなうまくやっているよ」というのが実情ではないでしょうか。小中学校の頃って学区というエリアでコミュニティが規定されていたわけで、そこには様々な立場であったり家庭環境であったり経済背景の人たちがいましたよね。その延長上と考えると「やんちゃなやつもいたし真面目なやつもいたけれど、なんだかんだでうまくやってたよね」という感覚もわかるのではないでしょうか。同じ意味での課題ももちろんあるかもしれませんが。いじめとかね。でも基本的には皆大人です。

一見窮屈に見えがちな田舎暮らしも故郷暮らしも「自由な働き方」につながるものだということ。

このようにフリーランスの「自由」って一見すると「何にも縛られない生き方」みたいな願望が語られがちですが、その仕事としての自由とは別に「生き方を選べる自由」「ふるさとで家族に近いところで生活できる自由」というものでもあります。昔ながらの暮らしだとか人間関係は窮屈な部分もあるかもしれませんが、その理由さえ理解できればさほどストレスではないものです。

一度都会に出てから田舎に戻るとその窮屈さは余計に目立って感じられるかもしれませんが、都会で身につけた感覚でふるさとを盛り上げていくことも可能です。もしかしたらやっかみもあるかもしれませんし、出る杭をうちに来る人もいるかもしれません。でも小学校のクラスを思い出してください。必ずそういう人はいるけれど、あの頃はなんだかんだでうまくやっていたはずです。気にしすぎなくても大丈夫ですし、多少喧嘩してでもぶつかっていけば固まるものもあるはずです。

このあたりの処世術は必要かもしれませんが、その上で自分が何を大切にして生きていくのかを決めて、その思いに従う選択をすることも中々悪いものでもないですよ。

まとめ

さて、冒頭の写真。祖父母の家の代々のお墓がかつて住んでいた町にあるのですが、今回このお墓を家族親戚のほとんどが住んでいる市の中心部の市営墓地に移すことになったんです。親戚も皆年をとってきて山中の道の悪い場所に行くのも大変になってきたこともあり、車でも楽に行けてバリアフリーの場所にしようという話になったとのこと。私も親戚の一人として立ち会いながら準備を進めています。個人事業主だと平日でも比較的自由に動けて手伝えるのが本当によいんです。

墓参りとか墓守りの文化もこれからどのようになっていくのかはわかりませんが、掃除したり線香あげる人がいなくなるのではという心配は上の世代はひしひしと感じているようで。祖父母世代だけではなくて親世代もそうですよね。自分が30代、40代となってくると親の介護の心配とかも出てきます。そんな中で必要なときに車を出せる距離感にいたり、ふるさとに居を構えていることで何かのときには協力できる体制を整えていたり、そんな役割を担う「自由」を持った働き方というものもあります。

20代くらいだとこれを「自由」とはまだ感じないかもしれませんが、生き方・働き方の一側面として考えてみてください。じいちゃんばあちゃん孝行、親孝行という考え方も、ささやかですが幸せな生き方の基準のひとつですよ。

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