日常と雑記

デジタルネイティブのインターネット体験はブログ記事1本書くにもいちいち郷愁を誘う。

今日は雑記。

かつてブログがメジャーになり始めた頃は基本的に日記的な使い方だとか趣味についての話だとか、アクセス数自体があまり多くなくてもみんなそれなりに満足しながら利用していた気がする。

それって個人ホームページで日記書いて、無料掲示板とか貼ってコメントで交流したりチャットしたりしていた流れからの「ブログ」という簡易HP更新プラットフォームの出現だったから、単純にみんな「一般人が情報発信できること」そのものを楽しんでいたのだと思う。世界に対して何かしらのポジションを取れる自分が特別な何かに思える新しいツールだったということ。

デジタルネイティブ第2世代のインターネット経験。

その頃自分は高校生〜大学生。PC環境を大学でも借りられたり自分用パソコンを手に入れられたりするくらいの時期で、しかも自分のことに使える時間がとても多い時期と重なっていて。

内面的にもナイーブになりやすい年頃だったりするから余計にインターネットや個人HP・ブログを日記的に使っていた同世代も多かったんじゃないかな。だからこそ今ではそのようなテキストサイトが黒歴史っぽく言われたりしがちなわけで。

でもmixiきっかけでSNSが普及し始めた頃だったことを考えると、インターネットの世界はまだまだ匿名が大前提の時代。コミュニティの共通性は趣味嗜好の属性だけだったのが、SNSによって少しずつ個人個人のプロフィールに近い地域だとか出身校だとかでくくられ始めたんだった。

それで匿名性が薄くなればなるほど自由でコアな日記的なブログだとか記事だとかは書きにくくなっていったのかもしれないよね。身バレしたときにそれこそ黒歴史っぽく「イタイ」と認識されるような怖さもみんな持っていたはず。今30代のデジタルネイティブ第2世代(1986年前後生まれ世代)はタイミング的にこの経験にハマっているんじゃないかなと。

ちなみにデジタルネイティブ第1世代は1976年前後の世代だね。

たった10年で情報リテラシーの平均値は大きく底上げされている。

あれから10年以上経って、ネット上の情報だったり匿名性や実名利用だったりの現状を考えると随分と世間の情報リテラシーは高くなってきたものだなと。まぁ今でも炎上騒動だったりリテラシー低いねという事柄は頻繁に起きているけれど、全体感としてはあの頃からすれば本当に進歩していると感じる。

だって昔は「怖いもんは使うな」ってのが結構な世論だったりしたわけ。ネットやら2chやらは危険だから触るなってやつね。今思えば「カメラに魂抜かれる」的な話と同じように感じるでしょ。でもそれが普通だった。とはいえ一部の先進的な層はどの時代でも新しい技術を実際に使いながら覚えていくわけだけれど。

そう考えると「情報リテラシー」ってのは「使うな」「近寄るな」ってことじゃないってのがわかるよね。そりゃ使わなきゃ失敗もしないしリスクもないけれど、本来リテラシーってのは「ちゃんと知って使いこなす能力」なわけだから。このあたりは今の時代も間違っちゃいけない。もちろんしっかりと理解した上で「使わない」って判断はあり。

ネオ・デジタルネイティブ世代がそろそろ世の中にでて時代を変え始める。

Twitterとか匿名で利用できるSNSも含めて世界はとても狭くなってリアルタイムで得られる情報も多くなってきたから、今のネオ・デジタルネイティブ世代(1996年前後に生まれた世代)以降はあまり違和感も恐怖感もなく自然とリテラシーを身に付けながら成長してきているはずだよね。

それはそれで小さい頃から難しい経験もあったかもしれないが、どの時代でも形は変われど嫌なことはあるもので。大切なのはたった10年くらいでもコミュニティのあり方が全く入れ替わった状態でそれぞれ小中高校大学のステージを生きてきているということ。

世代ごとにリアルタイムで学んだリテラシーはプラットフォームが違うわけで、特に上の世代は下の世代のルールを学んだ上で教育内容をチューニングしていかなければならないよね。

そしてコミュニケーションのプラットフォームが大きく変わる最初の世代からはその後に時代を引っ張る人材がかなり多く出るはずだから、ネオ・デジタルネイティブ世代が世の中に出始めるここから数年は結構面白いことになる。SNSの次の形も出始めるかも(もうどこかで出ているのかもしれないけれど)。

ブログも動画サイトもコンテンツ制作主体にお金が落ちる仕組みになったからこそ情報の質には良い面と悪い面が。

つまり今はデジタルネイティブの第1世代が40代で管理職など組織を引っ張っていき、第2世代が30代でバリバリ働き、ネオ・デジタルネイティブ世代がやっと社会に出始める時代ということ。社会人としてメインとなる世代がやっとここまで来たかという感じ。

ブログや動画サイトも最初は企業がプラットフォームを作って、一般人がそのプラットフォームをタダで使うかお金を払って使うかだった。それが一般人でもコンテンツを発信する側に立つ場合には広告費を分配することで「稼げる」ように。アフィリエイトはブログ黎明期からあったけれど、今は仕組み的にも高度な分析をしながら運用できるようになっている。

一般人のメインはデジタルネイティブ世代以降だから、これをうまく使って稼ぐのが普通になってきた。だからこそブログも日記的なものよりもアフィ的なものがフィーチャーされがち。それによって情報の質が高まる部分もあれば、その逆で以下に売るかだけの方法論しか語られないような部分もある。

だからこそ検索の王たるGoogleは「情報の質が高い」ということを検索結果ランクのポイントとして基本的には言い続けている。そのことが結果的にネット上の情報の質と精度を高めると企業としても信じているからなのだろう。

またnoteのようにマネタイズもできるがかつての日記ブログ的に使っても全く差し支えのないプラットフォームもしっかりと支持されて生き残っている。今の時代は日記的なコンテンツはブログよりも寧ろnoteの方が懐かしさを感じる作りになっているかもしれない。

まとめ

この記事だって見出しつけてみたり「まとめ」なんて最後に書くくせがついているのもなんだかなぁと思いつつ、たまにはエビデンスデータもほっといて軽くデスクリサーチする程度で日記・雑記的に懐かしく書いているわけ。

自動的にアドセンスが広告挟んでくることもあるかもしれないけれど、よく考えれば好き勝手書いたってそれに合わせて広告入れてくれるのであればあまり考えずに好き勝手書き続けるのもありなのかもしれないね。検索流入が期待できなければ読まれもしないというリスクはあるけれど。

ん、リスクっていい方が既に違う気もするね。読まれないことがリスクだっていうのはおかしいんだな。何かの縁で流れ着いて読んでくれた方が一人でもいれば嬉しいというのが日記的な記事なわけだから。こうやって自由に書くのを愉しめば良いってこと。

さてさて、明日も仕事頑張るぞと。

こちらの記事もおすすめ
Translate »