働き方

パワポ不要論から10年。

パワポはいまだマジョリティ

2008年頃に広がったパワポ(Powerpoint)不要論。当時は資料作成へのフラストレーションからか結構あちこちで受け入れられた主張だったけれど、今でもたまにぶり返したように不要論を唱える声を聞くくらいには定着している。

あれから10年経ったが、パワポは依然として業界スタンダード。

AppleのKeynoteの方がスタイリッシュだが、少なくとも岩手県に住んでいる私の身の回りには使っている人は皆無だ。誰かが使っても「データをやり取りする相手がKeynote持っていないし使えないから共有できない」という問題が起こるからだ。それだけOfficeが築いた基盤が確固たるものだということだろう。

不要論側の主張

さて、企画の仕事を生業とするようになった身から、このパワポ不要論についての現状と本質的な課題が何なのかを改めて整理してみる。

まず、不要論のキモは下記のようなこと。

・資料として単純に見辛い。

・アニメーションや装飾など議題の本論と関係ない所でごまかそうとする。

・本論以外に資料作成の時間をかけているのが無駄。

・要旨を手書きでもテキストベタ打ちでもいいから並べただけで十分。

まぁ、そうだよね。という感じ。生産効率を考えたら資料作成の装飾に無駄な時間をかけたり、意味なくスライドに長文を書き連ねて理解しにくいプレゼンしてもしょうがないだろうというのはその通り。今でもこれを言う人もいる。

問題は使う側のスキルにあり

でも結局パワポは廃れていない。特に企画書を作る界隈では。

なぜかといえば単純な話。本質はパワポというツールどうこうではなくて、ツールを使って情報整理し提案する本人に関わる問題だから。具体的には下記のようなこと。

明瞭簡潔な資料を作る能力の有無。

企画書としてまとめ伝えるスキルの有無。

物事を整理できる人が作るパワポ資料はとてもきれいでわかりやすい。プレゼンの場でも講演の場でも同じ。もちろん、資料が大したことなくても語り方やキャラクターで埋め合わせもできるし、実際のところプレゼンが上手い人には「資料作成能力が高い人」と「ライブ感としての伝え方が上手い人」にざっくり分かれる。両方できる人もいるがこれはかなり珍しい。

一方でこれがどちらもできないと、ごまかすにはアニメーションやゴテゴテの装飾で気をそらす必要がでてくるわけで。結果として「情報整理や伝えるのが苦手な人が作った資料」や「それをプレゼンする場面」に出会ってしまうと「パワポいらね」となる。それなら寧ろ箇条書きでポイント整理しただけの方がわかりやすい。これは今でもそうかもしれない。

不要論を気にする前に使いこなせるようになれ

ただ、繰り返すけれど「パワポ不要」「手書きで十分」の裏にあるのは「情報整理して伝えるスキル」の不足だ。だから本来的にはそこのプレゼン能力を鍛えるべきって方向に議論が行くほうが建設的だと感じる。

そしてパワポだろうがKeynoteだろうが手書きだろうがツールを問わずに共通する情報整理のスキルを身に付けるべきだ。その中で道具としてメジャーなパワポについては最低限の操作方法と使いこなし方は覚えておく。パソコンでキーボード打つのを覚えるのと同じレベルの話。

10年前はまだまだ技術的な受け入れができない世代も多かっただろうから、その比較的新しい技術がまるで絶対的なもののような存在感を持って「使いこなす」の本質を捻じ曲げていたかもしれない。あとは単純に「文字動くじゃん」的な楽しさで資料作ってた人もいると思う。

コミュニケーションの形も変化しつつはあるものの「伝える」の本質は変わらないから、もしまわりにまだ10年前の話題としてのパワポ不要論を唱える声があっても気にしなくてよい。

まとめ

もう少し時代が進めば音声認識技術とディープラーニングで、Siriのような音声アシスタントにアイディアを整理して話しかけるだけである程度きれいにまとまった資料が自動生成される日も来るだろう。その資料はKeynoteかもしれないが、パワポの業界的なインフラがまだ強ければ対応サービスも必ず出てくる。

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ただそれでも「整理する能力」は問われ続けるし、そこがキモだ。ツールが変わっても使い続けられるベースとなるスキルを身に付けていこう。

 

 

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