トイカメラ・トイデジ

トイデジは終わらない。アプリ加工では得られないもの。〜 SUN & CLOUDをテーマとして 〜

カメラってデータじゃないんすよ。キカイのカラダありきなんすよ。という話。

太陽を吸って写真を吐くトイデジを知っているか。

「SUN & CLOUD(サンアンドクラウド)」

「SUN & CLOUD」というトイデジを知っていますか。かつてPowershovelで発売していた手回し&ソーラーパネルで充電して撮影できる箱型のトイデジです。前面にはLEDライトも付いていて見た目もかわいいトイデジです。

ちなみに手回し&ソーラーパネルだけだと充電できる電力が限られているので、ちゃんとUSBケーブル経由での充電もできます。

トイデジofトイデジ(キングofトイデジ)と言えば「デジタルハリネズミ」で間違いないかなと思うのですが、この「SUN & CLOUD」はデジハリの姉妹機とのウリ文句で発売されたもので、実際メニューやら中身はデジハリとほぼ共通と言っても良いくらい。ただしその機能を搭載するカラダとコンセプトが違うのでトイデジとしては別物と言って良いでしょう。

実は「SUN & CLOUD」は2017年頃まで「新品」が値引き販売されていた稀有なトイデジ

発売当初はPowerShovel/SuperHeadsが販売していましたが、その後、トイデジ(というかカメラ販売自体)を株式会社チノンへ移行された経緯があります。このチノンも歴史を辿ると1948年まで遡るということで面白いのですがここでは割愛。

記事執筆時点では平成も終わりに近づき、世の中ではトイデジブームも既に一段落。その一方でデジハリの中古品は相変わらず高値取引されている中、この「SUN & CLOUD」はチノンのHPで値引きされながら2017年あたりまでは細々と売られていました。中身は基本的にデジハリなのにね!

今では当たり前な「写真データに日付が記録されること」が「SUN & CLOUD」にはできるというありがたさ

しかもこいつの良いところは「日付設定できる」ということ。デジハリは4.0以前の機種だと日付設定さえできないんですよ。

今の時代、日付無しでデータ取り込みと管理するのは億劫で億劫で。当たり前になっているために意識しないものですが、管理ソフトで自動的に時間単位まで並べ替えられていることの価値はとてつもなく大きいものです。

逆に言うと、トイデジの中には日付設定できないために取り込んだ際に全て手作業で打ち込まなければならないものもあるということですね。一応これからトイデジ始めたいという方はこのあたり事前に調べてからの方が良いかと思います。

トイデジに思う「キカイのカラダ」だからこそ写せる世界

さて、私が旅に連れて行くトイデジを1台だけ選ぶとしたら、この「SUN & CLOUD」か「デジタルハリネズミの花はりねずみモデル」のどちらかかな。というくらいお気に入りです。機材紹介は後々にということにして、ここで伝えたいのは「SUN & CLOUD」にしか撮れない瞬間が確かにあるということです。

これはiPhone & アプリ加工とは根本的に違うものです(アプリによる加工も手軽で好きですが)。なぜ今の時代に敢えてフィルムカメラが流行るのか、ということと近いのかもしれません。どこまでも高性能のシステムを求める楽しさが確実にある一方で、誰もが持つ携帯電話で手軽に一定の高画質写真も撮れるようになりました。そこで「写真を撮る」という行為そのものが自由になってきていて、それって正にトイデジが担っていた役割だと思います。

しかも、今の時代のマジョリティであるiPhoneと根本的に異なるのは、「カラダ」との紐付きです。コンデジ全盛期まではまだその感覚がありましたが。あたかも一つ一つの個体に個性があるような。撮影を繰り返していくことで染み込んでいくような。そんな魅力がトイデジ、特に「SUN & CLOUD」にはあります。

トイカメラ「風」のデータ加工には宿らないもの

スマートフォンが拓いた便利で「頭の良い」世界はコンデジやトイデジの存在意義を薄めたけれど

スマートフォンで日常のほとんどがまかなえる時代になりました。カメラに防水機能がついて、シェアするための通信機能まで。機能はソフト的にアップデートされ、アプリを変えれば楽しみも撮り方も広がる。完璧です。

「トイカメラ風」の画像加工も一般的です。確かに、カメラがデジタルデータになって以降、画像加工の敷居も下がり、今ではRAWデータの現像も非常に手軽になりました。そうするとライト層にとってはソフトウェアによる味付けで十分になるので、iPhoneひとつで十分なんですね。これはこれで素晴らしい技術の進歩です。

トイデジは、その全てが、写したものとの関係性になる

ただそれでもトイカメラ「風」とトイカメラ・トイデジではやっぱり違う。それはカメラの「カラダ」と「目」と「ソフトウェア」が一体となって作られているかどうかということと関係していることに由来するのではと感じます。

例として、最近クラウドファウンディングで「昔のフィルムカメラを全てデジタル化する」プロダクトが話題になっていました。これはフィルムカメラの裏蓋を外して、そこにセンサー付き・レンズ無しの汎用デジカメを外付けで嵌め込むような仕組みです。昔のカメラがデジタルカメラとして生き返るということです。ただし結構外付けシステムが大きくて不格好。

で、問題は「このキメラのようなカメラシステムが映し出すものは果たして当時のカメラが見た景色なのかどうか」ということです。オールドレンズをデジタル一眼やミラーレスに付けて遊ぶのと違うのは、「レンズ+本体」は活かしてセンサー部分のみを外付けしている点。この「本体」の意味ですよね。

個人的には外付けシステムが本体の中に入るレベルまでコンパクトになればよいのですが、そのサイズ感まで大きく変わるものは違うのではないかなと感じます。つまり、カメラはそのカラダと中身が全て一つになって、撮影者の目となるのではということ。

トイデジがかつて持っていたカンブリア爆発のような多様性

トイカメラ「風」の味付けをするカメラ本体はスマートフォンですから、その写真はあくまでスマートフォンが撮った目になる。当たり前ですけれど。

しかしこのことが「トイデジにしか撮れないものがなぜあるのか」の理由になると思うのです。様々な可能性の模索を経て、人々が手段として手にするカラダと目が統一されつつある今、多様性がまだ認められていた時代の遺物たるトイデジに宿るものをもう少し残してみたいなというのが個人的な思いです。(頻度としてはたまにしか使わないけれど!)

トイデジは「時とともに使えなくなる」宿命を背負っているから

半永久的にデータとして残る「デジタル」な写真たち。

しかしその一方で、デジタルなカラダはサポートが終われば直せなくなります。フィルムカメラが(今の所)時代を超えて使い続けられるのとは対象的ですよね。一時代を築いたトイデジたちも、今はまだギリギリ使える環境が残っているけれど、壊れれば直せず、チープなプラスチックのカラダや部品は脆くなり、一度寿命が来たら二度とその目を開くことはできない可能性が高いのです。

これってデジタル時代の宿命で、例えばiPhoneのアプリも32bitから64bitに移行した段階で以前のアプリが使えなくなりましたよね。まだまだ過渡期だからこそ、なんとなくずーっと使えると思っていたものがシステム自体が変わることでも永久に失われてしまうのもデジタルなのです。

役目を終えたトイデジたちも、もう少し時代が進めば3Dプリンタで1から呼び起こせるようになるのかもしれませんが、「現役」を楽しめるのは今が最後の時代です。

時代の終わりにトイデジ片手に世界を探そう

平成最後の夏にこの記事を書いています。

時代の節目だからこそ、この時代に生まれたデバイスで、この時代を写す意味があるはず。それは味付けだけデータ化され受け継がれていくものではなくて、あくまでオリジナルのキカイのカラダで捉える光であるはず。

だから、データの問題じゃないんですよ。トイデジだからこそなんですよ。

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