2007年1月21日13時43分17秒。
12年前の今日の写真。を、レタッチ。
カメラを趣味にしている祖父と一緒にドライブの途中で岩手山を撮っている風景。
撮影したカメラはPanasonic FX-8。私はまだ大学生。
PanasonicのFX8で撮った写真から今自分自身で学ぶこと
昔の写真を見ていると、その時の自分と会話できるようで懐かしさとともに学びもあります。
この頃の写真は「構図」と「瞬間」を大切にしていて、カメラ機材のスペックはあまり気にせず「いつでも手元にあってすぐ撮れる」ことが最優先でした。
FX8はその点コンパクトで使い勝手が良くて、革のケースに入れてカラビナを付けていつも腰にぶら下げていたことを思い出します。さっと取り出してパッと撮れるカメラが好きなのは、今Ricoh GRを愛用していることにつながっていますね。
一方で、学生当時の身軽さを振り返ると今は少し腰が重くなったなとも感じます。
学生時代ってやっぱり「自由な時間がある」というのが大きいんですよ。学業第一というのが本来的なのかもしれませんが、生まれて始めて自分で自由に車を運転して移動できる時期でもありますから。
特に北国の田舎育ちだと公共の交通機関だとか飛行機に乗ってどこかに行くというのはあまり現実的ではなくて、自動車でドライブというのが標準的な遊び方になります。時間がある日には彼女(今の嫁さん)や友人(とかたまに家族親戚)と一緒に日帰り小旅行をするのが常でした。
そういう時間の過ごし方に「写真」という趣味はちょうど良いわけで。反対に言うと、社会人になって特に昼間が忙しい生活スタイルになるとどうしてもカメラを手に自由に旅行に行くという機会が減りがちです。
まぁ気持ち一つなので「撮るぞ!」と決めれば良いわけですが、心持ちとして「そう身構えるものではないんだ!」という思いもあり。
趣味って何でもそうかもしれませんが「そのための自由な時間があること」がそもそも大事なんですね。例えば仕事に追われていると家に帰ればゆっくり寝たいし、土日も休めるときに休もうと何もしたくなくなったり。それって文化的な生活ではなくて、ただただ仕事と稼ぐためだけに生きている感覚になります。
学生時代はバイトなどでちょっとした社会との接点があったり、勉強しながら働いて自分で稼いでいるという忙しさとか若いなりの悩みや葛藤はあるものの、それでもやっぱり根本は「自由」ですよね。そういう心理的な状況で撮影した写真を見ると「今の自分にも撮れるかなぁ」なんて少し考えてしまいます。
社会的役割と自分の中の構成割合
社会に出て時間が経つにつれて、自分自身のイメージって「仕事」に強く紐付いていきます。学生時代の友人たちと合うときでさえも「〇〇会社の〜」という枕詞がどうしても浮かんでしまいますよね。
1日の半分は「仕事」というものに就いていて、それが週5日は続くわけですから仕方ないと言えばその通り。でも「仕事」に紐付いた自分って自分の全てなのかなとたまに考えてしまいます。専業で家庭にいたとしても「役割」としては「仕事」と同じようなものとして。
つまり自分というものを考えたときに、それを構成している割合が「仕事90、その他10」みたいな生き方で良いのかどうかを意識するのって大切だろうということ。
学生時代の精神的自由さってもしかすると「学生100」みたいな自己意識だったかもしれませんが、時間に分けて見ていくと「学生20、バイト20、趣味60」ということだったように思うのです。そしてその趣味の割合にこそ個人の文化的な生活時間が流れていたのではないのかなと。
よく退職後にどう生活していいかわからなくて急に老け込んだというような話って聞きますよね。それって「仕事100」みたいな生き方を長年してきた人にとっては当然です。自分が急に「0」になるわけですから。
フリーの働き方をしていても同じです。しっかりと自分の構成割合を意識していないとフワッとしてしまう。そういう意味では考え方によっては「仕事60」くらいで時間を拘束される「会社」という制度は精神的安定をもたらすのかもしれません。それが良いかどうかは別として。
だからこそ、今の私自身のフリーの働き方はもっと生き方全体を意識したほうが良さそうだなと再認識。学生当時から比べると圧倒的にシャッターを押す数は減っていて、それは自分の中の構成割合のバランスが崩れているのかなと。
学生時代の自由さを基準にするかどうかという話もありますけれどね。でもどこか純粋な文化的生活をしていた気がします。可処分所得は少なくても。
まとめ
最初の就職をしてから十数年、転職、独立起業を経て今にいたりますが、文化的な生活をベースにした働き方についてもう少し考えていきたいなと12年前の今日撮影した写真を見ながら感じます。
自分なりに整理して考えていくと、今の世論で言うブラックだとか雇用だとか働き方改革というものとは少し違うレイヤーに目を向ける必要がありそうだなというところ。QOLを高めるという意味で。会社というもの自体の仕組みについても、自分が経営者となるとすれば検討必要ですね。